奈良美智さんの絵

奈良美智さんの絵

奈良美智さんの絵がかつて藝大寮にあった。

 

奈良美智さんの絵
奈良美智さんの絵

あった、という過去形なのは、その絵がすでにこの世にないからである。というのも、その奈良さんの絵は建物と一緒に時の彼方に旅立ってしまったからだ。今も藝塾の帰り道にときどき、通る藝大寮の通り道。ケーキ屋さんのノアがあって(ちなみに鎌田かよは昔ノアでバイトをしていたことがあります)、郵便局があって、トップがあって、キュリアスがあって、やまさんの自転車屋があって、ぼくたちの石神井寮があって…、いやぁ、こう羅列するだけで青春の甘美な思い出が脳内を駆け巡ります。幸来の油そばアナログのカレールピナスのパンなどなど、寮生の胃袋を満たし続けてくれました笑

今はもう、なくなってしまった石神井寮と奈良さんの絵。奈良さん自身は藝大生ではなかったけれど、芸大生の友人たちと毎晩、どんちゃん騒ぎをして、近所の人たちに迷惑をかけて、あやまって、またどんちゃん騒ぎをして、仲間と真夜中遅くにギターを奏で、芸術と国家を議論して、また怒られて警察を呼ばれて、がーがー眠り、また酒を飲んで、議論して、そんなおおらかな時代の中で育まれた絵画が奈良さんの絵なのである。もちろん、奈良さんの絵の横には、奈良さんのともだちが書いた絵もある。

当時の寮生たちと奈良さんの全体絵
当時の寮生たちと奈良さんの全体絵

奈良さんのゆったりした、ゆるやかな曲線が、当時のおおらかな寮生たちの思い出を叙情豊かに召喚してくれる。石神井寮、最後のお祭りでもあった閉寮祭では奈良さんからコメントまでいただけたのは大変にうれしく光栄なことだった。

 

石神井寮はつぶされてしまったけれども、もはや悔いてもしかたない。人生は続く。涙を拭って前を見て、時折また涙ぐんで歩むばかりだ。寮長だったわたしのやるせない気持ちをこの絵が癒してくれる時がままある。

思い出は過ぎ去れば皆美しい、と誰かが語ったが、懐古するにはまだ早い思い出たちだ。石神井寮のご縁を授かったおかげで今もご近所の方々たちと交流があるのは素晴らしいことだ。最後に豊かな”縁”を授けてくれた石神井寮といっぴきの半野良猫には感謝してもし尽くせない。

藝塾では、ほんとうに石神井寮からのご縁で開かせてもらっている。関係者の方々にこの場を借りてお礼を申し上げる。

藝塾は、閉寮祭の延長にある。石神井寮で、のんびり気ままに、楽しいままに、子どもに混ざりながら、童心に戻り絵筆を握った親や保護者、中高年の方々の姿が垣間見られた。

そんな素敵な、野生剥き出しの絵を描く素晴らしさ、そうした楽しみや生きがいのような衝動を発揮させる場のお手伝いをしたいと考えている。

藝塾では、↓↓↓こんな絵↓↓↓を描くお手伝いをします。といいますか、一緒になって描きたいと考えております。老若男女問わず、石神井のみなさまと、また素敵な縁が持てますことをこころより楽しみにしております。

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一ノ瀬健太

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