本日は1年の総まとめを行いました。
昨年のゴールデンウィークから開講し、とりあえず一年間頑張ってみました。
教養コースは一年間、塾生はひとりで経済的にはまったく黒字にはならなかったけれども、大いなる種を社会に巻いたものと思います。
初めから、しっかりと自らで考えられる教養のある教え子にも恵まれ、教育者として本望でした。自らで自らの身体を耕すこと、自分の目的に向かって戦略的に自らの身体を耕すこと、それを即ち、教養と呼びます。
メディアリテラシーからはじまった本講座でしたが、メディアとは何もマスコミだけに限ったことではなく、新聞やラジオ、テレビだけでもなく、ラインやツイッター、フェースブック、そして、私たちの身体もまたメディアなのです。
そして、その自分の身体というメディアを、自分の好きに耕していく、自分という無限の畑に作物を植えていく、一本一本丁寧に苗木を植えていくことも、がさつに適当に浮き稲することも可能です。全ては自分で耕すのです。自分で耕し、取れた作物を共同体の中の他者と共有する。シェアする。そんな生き方を教えるのが、藝塾の教養講座でした。
以下は、一年の振り返りをしながら、改めて教養とは何か、ということを再確認しあった講義です。
人は、教えることを通じて学びます。その点において、教え子は私の師であります。三人行けば必ずわが師ありと孔子は語りましたが、塾生は大いに私に私の知らない分野の話をしてくれ、私もだいぶ教養がつきました。パズドラのいいモンスターや、ラッドウィンプなど素敵なロックミュージックも教えてくれました。
そして、私自身、教えることを通じて自らの無知を知り、自らの無知を改善しながら、しっかりを言葉にすることで自らのぼんやりとした考えをアウトプットし、確固たるものにしていきました。
一年間を通じて、自分についてきてくれた塾生に感謝したいです。そして、いかがわしい風貌の自分を信頼して、ご子息をあずけてくださった寛容な親御さんに感謝を申し上げたく思います。この場を借りてお礼を申し上げます。
そして、藝塾のホームベースである場所を貸してくださっている田村公一先生にも感謝を申し上げたいと思います。本当にいつもありがとうございます。
この春から博士課程に進学し、自分の研究に没頭しつつも、広く社会に学問の精華を還元せねばならない。その点で定期的に時間をとられるのはフレキシブルな予定を立てづらいと思いました。
自分の理想的な塾形態とは、ふらっと教えたい時に教え、古代ギリシアのソクラテスやプラトン、アリストテレスがワインを飲みながら語り、互いに学びあっていたような饗宴の学び舎を目指したいと思います。
そして、こうした自分の指針に賛同し、こんな自分の元で学びたち思っている塾生がいたら、また保護者の方がいらっしゃいましたら、任せていただければ幸いです。
今年は、フレキシブルに融通無碍に、のんびりと不定期に、要所要所で教えていきたいと思っております。
あくまでも自己本位。どこまでも自己本位で教養を共に耕していきたいと思う。
私自身も石神井の地を離れ、早2年近くが経つ。石神井の地を一週間に一回は踏んでいた。
一度、石神井の地から離れ、新しい心境で新生活をはじめてみたいと思う。
教養コースは、毎週日曜日15:00~決まった時間に開催されていたが、今年度からは、時間を塾生のフレキシブルな時間帯に合わせて講義を行う、ある種の自宅訪問型家庭教師型スタイルを模索していきたいと考える。大勢の人数に向けて講義を行うことも大事であるが、一対一で行う講義もまた大事であろう。
新年度は、アリストテレスがアレクサンダー大王を教えていたように、またロマン主義の時代に文学青年が貴族の子弟を教えていた家庭教師のように無限の可能性に満ちた塾生を気ままに指導していきたいと思います。
とりあえず一年お疲れ様でした。
汝、みずからを耕せ!
越後スター・一ノ瀬健太